沖縄の山田と武士⑤!

こんばんわ

2000年1月頃、USJ(ユニバーサルスタジオジャパン)に移動になりました。

USJって?

沖縄の山田と武士⑤!

この当時USJがなんなのか分からずに現場に入っていました。
とにかくこの現場は、もう人がおり過ぎて、何が何だかわからん感じの記憶しか残っていません。
当時の現場は荒れ地に建物が建ちだしたぐらいの時期で、色は茶色とグレー(ネズミ色)の印象しか残っていません。

現場ではヘルメットは必需品。
かぶらないと現場監督たちに注意をされるのですが、外国人の方々はノーヘル上等!
ジープで縦横無尽に走り回っていました!
日本人はやはり外国人には弱いようです。

とまぁ今のようなテーマパークが出来るなんて微塵も思ってなかったし、
あんな華やかな感じに仕上がるとは……。
と言った感じです。

と、言っている間に4月。
僕たち一年生はこの一年色んな現場に行き、いろんな物を見たり聞いたりして成長してきました。
その成長ぶりや誰がどこの課に行くのが良いのか?
とか、ウチの課に誰がほしい。
など課長や上の上司たちで決めるのです。

山田は鬼の巣窟2課への配属!
みんなそれぞれの課への配属になります。

僕はこの1年自分ではかなりの成長を遂げ、現場の楽しさをしって頑張ろうと意気込んでいた時でした。

僕の配属先は………。

『CAD(きゃど)積算室!』

????????????

内勤です。

なにそれぇ~!!!!!
現場は???
職人!職人!!
実力は折り紙つきですぜ!!!!

なぜ内勤になったのかの理由は聞かされていませんでした。
おそらく、現場の課長たちは反抗ばかりする僕の扱いに困るし、何より和が乱れる事を恐れたのでしょう。
まぁ仕方ないですね。
身体を動かす方が得意な僕としては不本意ですが、この時僕は少し大人の階段を登っていて、
怒ることなくすんなり内勤の辞令を受けて、川上さんのはからいがあってか、内勤になりました。
現場で学んだ事を普段に活かす事と言えば、一応、第2種電気工事士の資格を持っているので、
友達の家のスイッチを取り替えたり、
家のコンセントを増設したり、
照明を勝手に増やしたりと、
それぐらいですかね。

川上さんは総務課の課長。

僕の行く事になった「CAD積算室」は
CADと積算室の2つに分類され、僕は積算室の方でした。
見積もりを作ったりするとこですね。
その2つをまとめていたのが、
岸和田のだんじり祭り命、だんじり狂いの漢字を忘れました。たかいとさん。

CADは女性3人。
お局の梶姉。
優しかった湯本さん。
あと1人助っ人の山本さん。

積算室は釈由美子命の森田さん!
あと、3度の飯よりガクト好きでした。
マリスミゼル???
の時代やったと思います。
と、このメンバーでやっていく事になりました。

この時にパソコンを使うので、まずはタイピングの練習をいっぱいやらせてもらいました。
おかげで、今、こうしてブログを打つ時に活かせています。
ブラインドタッチなんていう少しイキった事も出来る様になりました。
なのでブログも少し長文になりますが、さほど時間はかかりません。
ありがたやありがたや。


そんなCAD積算室。
平和で朝9時~17時と定時でキッチリ終わってました。
NHKの朝の連続テレビ小説も初めて1話から最終回まで観ました。
その当時は「オードリー」と言う番組でオードリーヘップバーンを重ねたものでした。
たまに本社に遊びに来てた山田とも一緒に観てました。
なんとも楽ちんな感じで時は経ちました。

沖縄の山田と武士⑤!
沖縄の山田と武士⑤!

2001年4月。
友達の「清水憲治」から電話がありました。
清水とは小学校からの付き合いで野球を一緒にしてきた仲です。
阪神大震災で家を失い、おばあちゃんを亡くした清水は神戸市須磨区名谷に引っ越ししていて、
めったに会えないレアキャラでした。

そんな清水から電話があったので、
「なんや?」
とエラそうに電話に出てみると。

「おっちゃんやけどな。」
と清水のおっちゃんが電話越しに出ました。

ぎえぇ~!!
「すんません。どうしました?」
と聞くと、その当時鳶(とび)職をしていた清水が屋根から落ちて意識不明の重体と言うじゃありませんか。

「わかりました。すぐ行きます!!!」

まぁ清水の事やからすぐに目を覚ますやろうと思いながら、根こそぎ友達に電話して、
20歳そこそこやったので、大学生やニート、社会人といろいろいましたが、
20人ぐらいすぐに集まりました。

場所は東大阪の最寄駅は八戸ノ里。
神戸からやとなかなかの距離でした。

僕らは車5台ぐらいを飛ばして病院に着きました。
到着すると、清水の職場の関係者、引っ越し先の名谷の友達が何人かいました。
その中に清水のおっちゃんを発見!
駆け寄ってみると、まだ意識は戻らないとの事。

なにやら嫌な予感はしましたが、大丈夫!
あいつが簡単にくたばる訳はないと、どこかで確信もしていました。

僕は清水の目が覚めるまで、病院で待つことにしました。
明日が学校、仕事の子は先に帰ってもらって、
なにかあればすぐに連絡する手はずになりました。

僕は社会人で仕事がありますが、仕事どころではない!
次の日に、たかいとさんに説明して休むことを言いました。

そこから2日、3日、まだ目は覚めないのか?
4日、5日、まだか?
1週間経っても目が覚めない。

そんな時、上司のたかいとさんから電話があり、
「いつまで休む気や!会社に来い!」
と言われました。
僕はこんな状況で仕事してられない、仕事辞めます。
と言いました。
とにかく来いと言う事で、一旦会社に行きました。

さすが、岸和田のだんじり命、すごい剣幕で怒鳴られ続けました。
僕は辞めるの1点張り!!!

そこで登場川上さん!!!
そして初登場、総務課部長丸本さん!
たかいとさんを入れて4人で話をしました。
僕は泣きながらも、今は清水の側にいたいんです。
と訴えました。
たかいとさんは相変わらず仕事せぇ!
川上さんは「野球やってた連れやろ?気の済むまで側におってやれ!」
と言ってくれました。
丸本さんも「そうしなさい!」
と言ってくれました。
たかいとさん沈黙。
僕は感謝をそこで初めて知りました。
ホンマにありがとうごさいます。
無期限休暇を頂きました。
仕事の方はさておき。

1週間経っても目が覚めないので、僕らの仲間。
現在、六甲アイランドで行政書士をしている昔バンドマンやった津田拓也と、
現在、兵庫県篠山市で生地「日常」を夫婦で営んでいる昔バンドマンやった清水宣良が、
意識はなくても音は聞こえるはずやと曲を作りました。
そこに僕らみんなで歌詞を作って、
20人を超える人数でスタジオに入って曲をレコーディングしました。
そして、その当時はMDにしてMDウォークマンで清水に聞かせました。

その時は気のせいなのか少し笑ったような気がしたし、手が動いたような気がしました。
そんなささいな事で僕らは喜びました。
僕らは清水に死んでほしくなかったし、何より生きてほしかったのです。

それから2週間が経ち、住吉では毎年恒例の5月4、5日のだんじり祭りがありました。
僕は祭りは引退していましたが、清水も祭りは好きやし、
小中学生の時は清水とよく出ていたので、祭りに出たら清水が復活するかもしれないと、
祭りに出る事にしました。

沖縄の山田と武士⑤!

清水のおっちゃんも祭りの音を録音して清水に聞かせてあげました。

しかし、僕らの約3週間の願いも届かず、清水は5月8日、脳死と言う事でこの世を去りました。
僕は実感が全くなし。
その時は涙の一粒もでませんでした。

葬式は西神ニュータウンにある葬儀屋さんで行われました。
20歳そこそこの若造が200人を超える人を集めました。
他の葬儀をしている人たちも、どんな大物が亡くなったんやと見に来る人までいました。

葬儀が始まりお経をお坊さんが読み始めてしばらくして、
僕は清水は死んだんやと確信しました。
涙がこれでもかと言うくらい溢れました。
焼香の順番が来ても動かないぐらい泣いていました。
葬儀が終わって誰もいなくなるまで泣いていました。

命は大切にせなアカンなと気付かせてもらいました。
仲間の大事さを教えてもらいました。
人生このままではアカンなと教えてもらいました。

内勤でぬくぬくとただ時を過ごしていただけの僕は、会社に行き、川上さん、丸本さんに、
会社を辞める事を言いました。
この2人はお前が決めたんやったらそうしなさいと、どこまでも僕を尊重してくれる素晴らしい人でした。

清水が宝物にしていた車、
ホンダ「アコードワゴン」
があったのですが、
清水のおっちゃんが清水の形見として、
僕にくれました。

その当時はエアロとか付いていて、ちょいとヤン車チックですが、
エアロ類は全て取っ払って、ヤンキーさを極力無くすように頑張りました!
あとホンダ車はボディは薄いですが、良く走りました!
免停や北海道に2年行ってたので、何年か神戸の駐車場に置きっぱなしの時もありましたが、
清水の13回忌に乗って行けたのが良かったです。
これには清水のおっちゃんも喜んでくれました。

一生乗る気でいましたが、エアコンが故障やらなにかと問題が出始めて、
車内が灼熱地獄になって大変だったのが理由の1つです。
僕だけならまだしも、奥さんと子供とワンコが乗るのでエアコンは必要と判断しました。
お世話になってた元さんと言う方に、そろそろ乗り換えた方が良いと言って頂いたのもキッカケになりました。
13回忌を最後に乗り換える事にしました。
さらばアコード!

沖縄の山田と武士⑤!
沖縄の山田と武士⑤!

そこから清水が将来トラックも運転手になって仕事では誰にも負けないと言っていたのを思い出して、
トラックに乗る事にしました!
このトラック物語はまたいつの日かお話し致します。

と言う事で、初めての社会人生活に幕を閉じました。
トー〇ー電気工事会社(株)を2年で退職。
その時点で、一旦山田とはおさらばする事になりました。

再び出会うのはそれから5年後の夏になります。
次回は一応最終回の予定です!

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